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富岡製糸場と絹産業遺産群

群馬県にて取り組んでいる「富岡製糸場と絹産業遺産群」世界遺産登録への活動へ賛同します。このツアーでは各遺産群をGoogle Earthで旅することができます。

Google Earth ツアー「富岡製糸場と絹産業遺産群」
場所・拠点  説 明 
富岡製糸場ホームページ 日本の近代化の礎となった富岡製糸場。
薄根の大クワ 推定樹齢1,500年、ヤマグワでは日本一の巨木。幹が太く美しく、地元では「養蚕の神」として祀られています。高木のため霜の害に強く、周囲の桑園が遅霜にあった際は、その葉を養蚕に用いたといわれています。国の天然記念物。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)
荒船風穴(場所未特定) 明治39年から大正にかけて建設。養蚕の多回数化のため、蚕の卵である蚕種を夏季に保管した冷蔵施設。貯蔵能力は種紙110万枚で国内最大。旧上野鉄道を使って全国から送られた蚕種を一時保管しました。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)
栃窪風穴 荒船風穴と同様の蚕種保管の冷蔵施設。明治43年に蚕種貯蔵を開始し、戦後まで使用されました。貯蔵枚数は種紙15万枚で群馬県内第2位。吾妻郡内の蚕種貯蔵を一手に引き受けました。
高山社 発祥の地(場所未特定) 明治期の全国標準の養蚕法「清温育」を創始した高山社の発祥地。明治初期に高山長五郎が清温育を発案した蚕室、母屋、付属施設と江戸期の長屋門などが現存しています。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)
冨沢家住宅 群馬県内最古級の養蚕農家で、江戸末期の建築。木造2階建て、茅葺き、入母屋造りで、桁行23.9m、梁間12.9mと大型。二階は出梁造り、屋根の正面はかぶと造りと、養蚕に適した造りになっています。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)
赤岩地区 養蚕農家群(場所未特定) 明治中期を中心とする出梁造りの養蚕農家十数棟を中心に、近代養蚕農家が良好な状態で多数現存しています。重要伝統的建造物群保存地区。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)
旧甘楽社 小幡組倉庫 在来的な製糸法である座繰製糸を改良した“組合製糸”の遺構。小幡・上野地区などの養蚕農家が組織した甘楽社小幡組の繭・生糸などを保管した二階建ての倉庫。養蚕農家の街並みの端に位置しています。現在は甘楽町歴史民俗資料館 として利用されています。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)
碓氷峠 鉄道施設 明治26年に横川・軽井沢間に開通した旧碓氷線の施設。66.7パーミルの急勾配を克服するためアブト式鉄道を採用。イギリスの技術指導を受けて橋梁、トンネル等がレンガで建設されました。国重要文化財。
旧上野鉄道 関連施設 旧上野鉄道は明治30年に高崎・下仁田間に軽便鉄道として開業。地域の繭・生糸・蚕種輸送に活躍しました。旧路線敷に軽便鉄道用橋梁、下仁田駅隣接地に繭・生糸保管用レンガ倉庫2棟が現存しています。(群馬県 企画部 世界遺産推進室 HP抜粋)

日本にあるユネスコ世界遺産

ユネスコの世界遺産に登録されている日本国内の文化遺産、自然遺産を、このツアーではGoogle Earthで旅することができます。

Google Earth ツアー「日本にあるユネスコ世界遺産」
場所・拠点  説 明 
法隆寺 法隆寺地域の仏教建造物。法隆寺をはじめとするこの地域の仏教建築物は聖徳太子と縁が深く、中国の六朝時代の建築の影響を多大に受けている。特に、法隆寺の西院伽藍は、建築年代に諸説あるが世界最古の木造建築として国際的にも著名である
法起寺 法隆寺地域の仏教建造物。法起寺(ほうきじ、ほっきじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院。古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)とも呼ばれた。山号は「岡本山」(ただし、奈良時代以前創建の寺院にはもともと山号はなく、後世付したものである)。本尊は十一面観音。聖徳太子建立七大寺の一つに数えられることもあるが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。
姫路城 姫路城は、兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、ユネスコの世界遺産や日本国の特別史跡となっている。
賀茂別雷神社 古都京都の文化財。賀茂別雷神社は、京都市北区にある神社である。「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」の通称で呼ばれる事が多い。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
賀茂御祖神社 古都京都の文化財。京都市左京区にある神社である。通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。
東寺 古都京都の文化財。東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗総本山の寺院。「教王護国寺」とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。東寺は弘法大師空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録された。
清水寺 古都京都の文化財。京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山と称する。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所である。
延暦寺 古都京都の文化財。延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。
醍醐寺 醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。
仁和寺 古都京都の文化財。仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって鎮護国家・仏法の興隆を図るため「西山御願寺」(にしやまごがんじ)と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。  しかし光孝天皇は志なかばにして崩御せられ、次の第59代宇多天皇が先帝の遺旨を継がれ仁和4年(888年)にその造営を完成されました。西山御願寺は先帝から受け継がれた「仁和」の年号をもって仁和寺(にんなじ)と呼ばれるようになりました。
平等院 古都京都の文化財。平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
宇治上神社 古都京都の文化財。宇治上神社 (うじがみじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社。世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素。菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇を祀る。宇治神社と対をなす。
高山寺 古都京都の文化財。京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある寺院。栂尾は京都市街北西の山中に位置する。高山寺は山号を栂尾山と称し、宗派は真言宗系の単立である。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵である。「鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られる。境内が国の史跡に指定されており、また古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。
西芳寺 古都京都の文化財。京都市西京区松尾にある臨済宗の寺院。一般には通称の苔寺で知られる。山号を洪隠山と称する。本尊は阿弥陀如来、開山は行基、中興開山は夢窓疎石である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
天龍寺 古都京都の文化財。京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
鹿苑寺 古都京都の文化財。鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院。寺名は足利義満の法名にちなむ。通称金閣寺(きんかくじ)、山号は北山(ほくざん)。1994年(平成6年)に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。中心となる建築物である舎利殿を「金閣」、寺院全体を「金閣寺」と通称する。
慈照寺 古都京都の文化財。慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にある、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。正式名は東山慈照寺。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。足利義政が造営した楼閣建築である観音殿は「銀閣」、観音殿を含めた寺院全体は「銀閣寺」として知られる。
龍安寺 古都京都の文化財。龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。石庭で知られる。山号を大雲山と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
西本願寺 古都京都の文化財。京都府京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山の通称である。正式名称は「本願寺」。山号は「龍谷山」。その他の通称は、「お西さん」。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」)(下京区)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。境内は、「史跡」(国指定)・「世界遺産」(文化遺産)である。2011年4月9日より本願寺御影堂にて親鸞聖人750回大遠忌法要開始予定である。
二条城 古都京都の文化財。京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。徳川家康の将軍宣下と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
白川郷 白川郷・五箇山の合掌造り集落。岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と旧荘川村(現高山市)に相当し、前者を「下白川郷」、後者を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区に選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
五箇山 白川郷・五箇山の合掌造り集落。五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市の旧平村、旧上平村、旧利賀村を合わせた地域を指す。
原爆ドーム 原爆ドームの名で知られる広島平和記念碑は、日本の広島市に投下された原子爆弾の惨禍を今に伝える記念碑である。もとは広島県物産陳列館として開館し、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、とくに負の世界遺産と呼ばれている。
厳島神社 厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社である。
東大寺 古都奈良の文化財。天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の勅願を発布し、国全体をまもる寺として知識(自らの意志で協力する人々)の総力をあげて造営された。
正倉院 古都奈良の文化財。奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には,重要物品を納める正倉が設けられていました。そしてこの正倉が幾棟も集まっている一廓が正倉院と呼ばれたのです。しかし諸方の正倉は歳月の経過とともに亡んでしまい,僅かに東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残りました。これがすなわち正倉院宝庫です。
興福寺 古都奈良の文化財。奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺である。古代から中世にかけて強大な勢力を誇り、鎌倉・室町両幕府は大和国に守護を置くことができなかった。南円堂は西国三十三箇所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
春日大社 古都奈良の文化財。春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。
元興寺 古都奈良の文化財。前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺)でしたが、平城遷都に伴い今の地に移転され名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。広大な寺域には、金堂・講堂・塔・僧房などが立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一画が唯一現存しています。
薬師寺 古都奈良の文化財。奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇である。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。現・管主は山田法胤である(2009年8月?)。
唐招提寺 古都奈良の文化財。奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。南都六宗の一つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂をはじめ、多くの文化財を有する。
平城宮 古都奈良の文化財。奈良の古都平城京の大内裏。1998年12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界文化遺産に登録された(考古遺跡としては日本初)
春日山原始林 古都奈良の文化財。春日大社の山として神聖視され、樹木伐採が長らく(千年以上に渡り)禁じられてきたため、森林が極相に達した原生林が広がっている地域である。市街地(奈良市)に近接して原生林が存在することは極めて珍しく、保護の対象にするべきとして、特別天然記念物に指定されており、うち春日山の照葉樹林は国の名勝にも指定されている。また、古都奈良の文化財の一部として世界遺産にも指定されている。
日光東照宮 日光の社寺。栃木県日光市にある神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、他の東照宮との区別のために、「日光東照宮」と呼ばれることが多い。
日光二荒山神社 日光の社寺。日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)、下野国一宮。社格は国幣中社。正式名称は二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)であるが、宇都宮市の二荒山神社との区別のために鎮座地を冠して日光二荒山神社と呼ばれる。
輪王寺 日光の社寺。栃木県日光市にある天台宗寺院。創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めた。明治初年の神仏分離令によって寺院と神社が分離されてからは、東照宮、二荒山神社とあわせて「二社一寺」と称されているが、近世まではこれらを総称して「日光山」と呼ばれていた。「輪王寺」は日光山中にある寺院群の総称でもあり、堂塔は、広範囲に散在している。国宝、重要文化財など多数の文化財を所有し、徳川家光をまつった大猷院霊廟や本堂である三仏堂などの古建築も多い。
今帰仁城 琉球王国のグスク及び関連遺産群。今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村にある城跡。14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つ・北山王の居城であった。国の史跡に指定されている。
座喜味城 琉球王国のグスク及び関連遺産群。座喜味城(ざきみぐすく・ざきみじょう)は、沖縄県中頭郡読谷村にあるグスク(城)である。
勝連城 琉球王国のグスク及び関連遺産群。勝連城(かつれんぐすく・かつれんじょう)は、沖縄県うるま市にあるグスク(城)である。阿麻和利の城として知られている。
中城城 琉球王国のグスク及び関連遺産群。中城城(なかぐすくじょう)は、沖縄県中頭郡中城村に存在した日本の城。15世紀の琉球王国・尚泰久王代、護佐丸のグスク(城)として知られる。城壁の増築により現在みられる規模になったと考えられるが、築城の時期は不明。
首里城 琉球王国のグスク及び関連遺産群。首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあり、かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった城。
園比屋武御嶽 琉球王国のグスク及び関連遺産群。園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)は16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽で、沖縄県那覇市首里真和志町一丁目に位置する。沖縄県指定史跡。
玉陵 琉球王国のグスク及び関連遺産群。玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。
識名園 琉球王国のグスク及び関連遺産群。識名園(しきなえん)は沖縄県那覇市識名にある琉球庭園の一つ。
斎場御嶽 琉球王国のグスク及び関連遺産群。斎場御嶽(せーふぁうたき/サイハノうたき)は現在の南城市(旧知念村)にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされる。「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」ほどの意味となり、これは通称である。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」という
吉野山 紀伊山地の霊場と参詣道。吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町に位置する山。国の史跡・名勝。吉野山とはサクラの名所として知られる下千本、中千本、上千本、奥千本がある山域を指し、最高峰は最奥の青根ヶ峰(858m)とするのが一般的であるが、南朝大塔宮の城跡である高城山(698m)を吉野山の山頂としている文献もある。
吉野水分神社 紀伊山地の霊場と参詣道。吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町子守地区(吉野山上千本)にある神社。式内社で、旧社格は村社。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
金峯神社 紀伊山地の霊場と参詣道。金峯神社(きんぷじんじゃ)は奈良県吉野郡吉野町にある神社である。吉野の最も奥にあり、吉野山の地主神を祭る。式内社(名神大)で、旧社格は郷社。 2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
吉水神社 紀伊山地の霊場と参詣道。吉水神社(よしみずじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社である。旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素となっている。
大峰山寺 紀伊山地の霊場と参詣道。大峯山寺(おおみねさんじ)は奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院である。大峯山の中心である山上ケ岳の山頂に建つ。平安時代初期からの女人禁制で、毎年5月3日に戸開式(とあけしき)、9月26日に戸閉式(とじめしき)が行われる。この間に全国の山伏が、大人も子どももすべて男性の大峰詣(山上詣)の人を先導しながら入山する。 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されている。役行者霊蹟札所。
熊野本宮大社 紀伊山地の霊場と参詣道。熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は和歌山県田辺市本宮町にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、別名:熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと))を主祭神とする。 1871年に熊野坐神社として国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。
熊野速玉大社 紀伊山地の霊場と参詣道。熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。
熊野那智大社 紀伊山地の霊場と参詣道。熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。2004年7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
青岸渡寺 紀伊山地の霊場と参詣道。青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
那智滝 紀伊山地の霊場と参詣道。那智滝(なちのたき)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
那智原始林 紀伊山地の霊場と参詣道。那智原始林(なちげんしりん)は、和歌山県那智勝浦町の那智山中にあり、那智大滝の東に広がる原始林。熊野那智大社の社有林であり、1928年に国の天然記念物に指定されている。面積は約3.2ha。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
補陀洛山寺 紀伊山地の霊場と参詣道。補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある、天台宗の寺院。補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。
丹生都比売神社 紀伊山地の霊場と参詣道。丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社である。式内社(名神大社)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社となっている。別称天野大社、天野四所明神。日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社である。また、高野山と関係の深い神社であり、2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
金剛峯寺 紀伊山地の霊場と参詣道。金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。2004年には高野山やかつての表参道である高野山町石道(こうやさんちょういしみち)などが、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
慈尊院 紀伊山地の霊場と参詣道。慈尊院(じそんいん)は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗の寺院。山号は万年山。仏塔古寺十八尊第6番。 2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
丹生官省符神社 紀伊山地の霊場と参詣道。丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)は和歌山県伊都郡にある神社。九度山町慈尊院集落の南部に位置する。2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
大峯奥駈道 紀伊山地の霊場と参詣道。大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる修行道であり、熊野参詣道のひとつ。
熊野参詣道 紀伊山地の霊場と参詣道。古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇・女院や庶民にいたるまで、旅人の切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と例えられるほど多くの人々が熊野に参詣しました。 熊野古道にはいくつかのルートがあります。そのうち多くの旅人があるいたのは、京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る紀伊路、そして田辺から山中に分け入り熊野本宮に向かう「中辺路(なかへち)です。中辺路は後鳥羽院・藤原定家・和泉式部も歩いたとされています。
高野山町石道 紀伊山地の霊場と参詣道。高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道で、弘法大師空海が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。 2004年7月に、高野山とともに『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。
石見銀山 石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)であり、大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)と呼ばれた。
屋久島 屋久島(やくしま)は、九州大隅半島の南南西約60kmの海上に位置する島。鹿児島県熊毛郡屋久島町に属し、近隣の種子島や口永良部島などと共に大隅諸島を形成する。
白神山地 白神山地(しらかみさんち)は、青森県の南西部から秋田県北西部にかけて広がる山地で、人の手が加えられていないブナの原生林からなる地域である。昭和29年発行国土地理院地勢図には白神山地の名称が使われているが、世界遺産登録以前には弘西山地(こうせいさんち)とも呼ばれていた。
知床 知床(しれとこ)は日本にある世界遺産登録物件。2005年7月14日に南アフリカ共和国 ダーバンで行われた第29回ユネスコ世界遺産委員会で2005年7月17日正式に登録された。